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中島光風歌集
(なかじまこうふうかしゅう)
出で征きし教へ子どもの誰彼れが心に乗りて朝に夕なに
原爆で被爆死した旧制広島高等学校教授、中島光風の昭和18年(1943)の作。遺歌集「中島光風歌集」に収められ、広島中央公園の“広高の森”の歌碑に刻まれている。
中島光風は九州・福岡の人、東京大学国文学科卒業。昭和9年(1934)広島へ。短歌会、万葉研究会などを開いて戦時下の若者たちの心の支えとなった。今なおその師風が慕われ、遺歌集も当時の門下生の手で編まれたものである。
その教え子の一人、阿川弘之の「春の城」に“矢代先生”として登場するが、それにはあの原爆の日、市内上流川町の自宅で被爆、外出中だった夫人を探し求めて焼け跡をさまよい、ついに原爆症に倒れる痛ましい姿が描かれている。
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