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遣新羅使の歌八首(けんしらぎしのうたはっしゅ)

 安芸国長門島舶磯辺に泊まって作る歌五首
石走る滝(いはばしるたぎ)もとどろに鳴く蝉の
 声をし聞けば都し思ほゆ
 右の一首は大石蓑麿(みのまろ)のなり
山川の清き川瀬に遊べども
 奈良の都は忘れかねつも
わが命を長門の島の小松原
 幾代を経てか神(かむ)さびわたる
         (2首省略)
 長門浦より舶出の夜、月光を仰観て作る歌三首
月よみの光を清み夕凪に
 水手(かこ)の声呼び浦廻漕ぐ(うらみこぐ)かも
山の端(は)に月かたぶけば漁(いざり)する
 海人(あま)の燈火(ともしび)沖になづさふ
         (1首省略)
 これらの歌は「万葉集」に収められている。
 遣新羅使(けんしらぎし)は、天平8年(736)6月、備後の神島(かしま)・水調(みつぎ)郡長井浦、安芸の風速(かざはや)から長門(ながと)島に至っている。長門島は、現在の倉橋町に比定される。同地には、桂浜長門崎・長門口の地名が残り、船泊りに適していたこと、「日本書紀」の時代から造船の地として栄えていたことなどが、その理由に挙げられている。
 特に海に面した桂浜神社(国重文)の松原は、歌意にかなう景勝の地で、「万葉集遺跡長門島松原」として広島県史跡に指定されている。
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