八ッ尾城埋蔵金の謎

府中市

府中駅の北方八ッ尾山の頂上にある八ッ尾城跡は「つわものども」の面影をしのばせる何物もなく、ただ老松の風の音とともに、 この城跡に伝わる哀史がのこされているばかりです。足利末期八ッ尾城と相方城の戦いがおこり、ついに八ッ尾城が落城した時、 城主山名和泉守清氏は「黄金の鶏ひとつがいと財宝」を山中深く埋蔵したと伝えられ、その埋蔵場所は後世に至るも何処とも 知れず永遠の謎につつまれています。

府中市出口町川上の石切場の大岩石に不思議な「文句」が刻まれています。後世の人々はこの謎の岩を「文字岩」と よんでいますが、岩の文句を解した者は誰1人もなく、時は移り徳川末期のころ、飄然(ひょうぜん)とこの地を 訪れた旅僧が、「朝日射す、夕陽射す所、三葉うつぎのその下を1丈の巾に1丈深く掘れ」と言い、この附近に宝物 が埋蔵されていると村人に告げて立ち去りました。このこともあって宝物が埋蔵されているという謎に包まれて、 幕末より明治へと時代は過ぎて行きました。

府中市西町にある法音寺の世話方によって八ッ尾城跡に妙見菩薩を祭る妙見堂建立の議が起り、 早速山頂を開墾し土地整理の工事にとりかかりました。

さて、世話方の一人が最初のひと鍬を入れたところ確かに手ごたえがあり、掘り下げると不自然な大岩石を発見し、 一同がその大岩石を発掘してみると、不思議にも下側は洞窟となっていてその中から「大かめ」を発見しました。

今様花咲爺とばかり「かめ」の蓋を開いてみてびっくり仰天しました。バラバラになった人骨が飛び出したからです。 人々は好奇心にかられながらも尚も深く掘り下げると、今度は巻物が1巻、刀剣、甲冑とともに黄金の霊が2つ掘り出 されたではありませんか。大喜びで他人には秘密にすることを約束し、これらの財宝を山分けにして家に持ち帰ったということです。

さて、その夜更けるころとなり、財宝を山分けした者は高熱に苦しまされて、夜じゅう、うわ言、たわ言をいって大騒ぎとなりました。

家人は見かねて尋ねると、「我は八ッ尾城主の怨霊なり、わが秘密をあばきし上は、汝等の命、のろわでおくべきや」と 形相もの凄い城主の怨霊が現れたと申しました。思案にあまった家人たちは、ことの次第を法音寺住職に告げると、 「それは命まで危ないことだ」と早速住職は家人たちと共に妙見堂にこもって祈りに精魂をつくしましたが、一向に効験はなく、 5日5夜にわたって高熱がつづきました。そこで家人たちは恐れをなして今はこれまでと掘り出した財宝を全部元の所に埋めてしまったということです。

八ッ尾妙見堂の傍らに「南無妙法蓮華経」の妙号を刻んだ石碑があり、その周囲は石の玉垣が造られ、常に香華が手向けられているのを見受けるでしょう。

その下にかくしおかれた黄金の秘密を知る人も少なくありませんが、古老より触れれば必ず崇りがあるといわれているので、 誰とて掘り起こすものはいないということです。

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