昔、黒瀬町大字上保田にお医者さんがいました。ある晩真夜中に表の戸をたたく者がいるので、起きて様子をきくと、
妻が難産をしているので往診にきてほしいといいます。駕(か・かごのこと)まで連れてきて多くの伴もいるので、
しづしづとその駕に乗り行くと、上保田の山に登り、更に奥に入ります。家はどこかと尋ねると、野呂山の上と答えます。
その辺には集落はないはずというと、山奥の一軒家とのこと。その家に着くと驚くことには、何と豪壮な邸宅で、
一族郎党の出迎え、こんな豪族がこの山に住んでいたかと今更不思議に思いながら、産婦を診断すると難産のはず、
2児ならず6児を生み、その医者はびっくりしました。初めて六ツ子のお産を見て、これが人間であろうかといぶかり帰宅しました。
帰る時も立派な駕で送り、謝礼金は後で届けるとのことでした。
翌朝、その話を近隣に話すと、それは野呂山の狐の仕業であろうとのことです。その医者が馬鹿にされたのだといいます。
礼金はいつまでたっても誰も持って来ませんでした。ところが、田植え時期になり、その医者の家でも田植えの準備をし、
明日は近所の人に田植えをしてもらうことにしていました。
その夜中、表の田で盛んにソウゾウしい物音に混じって狐のなき声も聞こえます。気持ちも悪いので戸を閉じて寝つ
きましたがあまり気になるので、戸のすき間から表を見ると門の前一帯に狐火が多くともり、右往左往しています。
とたんに寒気がして戸をかたく閉じて家に入りました。翌朝起きてみますと、驚くことには、田植えは全部終わって
見事な青田になっていました。
近所の人々も夜中に同じ狐の鳴き声や狐火を見たといいます。