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イベント : 安芸高田市歴史民俗博物館企画展「幕末広島吉田支藩と御本館」開催

掲載日時: 2014年11月01日

安芸高田市歴史民俗博物館(安芸高田市吉田町)では、12月7日まで企画展「幕末広島吉田支藩と御本館」を開催しています。幕末、宿場町吉田(現安芸高田市吉田町)に突如大名屋敷「御本館」(御住館)が現れました。わずか6年足らずしか存在しなかった幻の大名屋敷の完成から150年の今年、その実像に迫ります。

 江戸時代、広島藩を治めていた浅野氏は、享保15(1730)年支藩を創設しました。支藩は江戸青山に屋敷を構えたため青山内証分家と呼ばれています。
 攘夷か開国かで混乱する幕末の文久3(1863)年、内証分家第7代長厚に帰国が命じられます。長厚の屋敷は吉田に設けられ、家臣182名を伴って移住。ここに吉田支藩が誕生しました。翌年に完成した御本館は総坪数約3000坪、典型的な書院造の本館には米蔵や時櫓など多数の建物、周囲には家臣の屋敷が建ち並びました。建設には郡内の割庄屋をはじめ庄屋や大工など大勢の人が携わっています。

 なぜ吉田だったのか、交通網の発達した広島の地は防御の点で弱く、吉田は山間の僻地でも土地は広く、周りは山に囲まれている要害の地とみたのです。広島藩はここを北方の守りの拠点としました。しかし、理由はそれだけではなかったようです。当時、藩祖と崇める毛利元就や隆元の墓を参拝するために長州藩士が頻繁に吉田を訪れていました。そして吉田の民衆はそれを歓迎していたのです。未だに毛利氏を慕う吉田の地に浅野氏の立派な屋敷を建て藩主が多くの家臣たちと移住する、民衆も建設に協力し浅野氏の城下町となる。このことによって民衆の意識を変えようとしたようです。

 むかえた長州戦争には、幕府から出撃を命じられますが、戦争を避けたい本藩は出兵を拒否、長厚も病気を理由に出陣延期を願い出ています。そして、明治2(1869)年版籍奉還によって支藩は本藩に吸収され消滅、長厚は吉田を去りました。残された屋敷は明治初期その一部が学校として使用されたことがわかっています。

 地元でも知られていない吉田支藩と御本館をテーマにする初めての企画展です。関係する資料を一同に展示し、毛利元就の本拠地という側面以外ではあまり知られることなかった幕末から明治にかけての吉田の情勢を紹介します。

※写真1枚目:御住館図 ※写真2枚目:伝米蔵瓦
(安芸高田市歴史民俗博物館)

【日時】平成26年10月25日(土)〜12月7日(日) 9:00〜17:00
【休館日】月曜日(祝日の場合は開館)・祝日の翌日(11/4・11/25)
【場所】安芸高田市歴史民俗博物館(安芸高田市吉田町吉田278-1)
【入館料】大人300(200)円 小人150(100)円 ※( )は団体20名以上
【関連行事】
(1)公開講座「幕末・維新期における広島藩の動向」
日時:11月16日(日) 13:30〜15:00
場所:安芸高田市文化センター クリスタルアージョ 小ホール
講師:広島経済大学教授 濱田敏彦氏
参加費:無料(要申込)
(2)展示解説:11月8日(土)・22日(土)・12月6日(土)
・11:00〜・14:00〜(各30分程度) 解説当館学芸員
【問い合わせ】
安芸高田市歴史民俗博物館0826-42-0070
ホームページ http://www.akitakata.jp/ja/hakubutsukan/