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中野砂走の出迎えの松(なかのすなばしりのでむかえのまつ)

 近世、西国街道(さいごくかいどう)は大阪と長崎とを結ぶ道筋にあたり、江戸の五街道につぐ重要な街道とされたから、初期以来、宿駅や茶店を置き、一里塚や並木松を植えるなど交通施設の整備が進められた。
 瀬野川の西側の土手に残る6株のクロマツ(市史跡)は、旧西国街道の並木松の名残である。道幅二間半(約5メートル)と当時きっての大道を往来した旅人たちを、日差しや風からまもり、あるいは旅の風情をそえることによって、その疲れをいやしたことであろう。
 地元では、「出迎えの松」と呼びならわされているが、参勤交代によって1年の江戸勤めを終えた藩主が、最後の宿泊地四日市(現東広島市西条)を発ち、広島城下に向かう際、留守居をしていた家臣たちが、このあたりまで出迎えることを例としていたことに由来するともいう。
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