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因島の除虫菊
(いんのしまのじょちゅうぎく)
初夏、瀬戸内の島々を真っ白に包んでいた除虫菊の花―大正時代から昭和にかけて、広島県の一大特産であった。
蚊取り線香や殺虫剤の原料として珍重された除虫菊だった。原産地は、地中海に面したユーゴスラビアのダルマチア地方。初めてわが国にもたらされたのは、明治18〜19年(1885〜1886)頃のこと。まっ先に栽培されたのは和歌山県の日高川流域。広島県へは、明治22年(1889)頃に旧御調郡向島西村(現尾道市)に初めて移入された。明治30年(1897)頃一般に普及し始め、同41年(1908)旧豊田郡重井村(現尾道市)、旧高根島村(現尾道市)などで作られるようになった。
明治の生産は微々たるものだったが、大正にはいると一挙に瀬戸内の島や沿岸部に広がり、先進地和歌山県をしのぐ勢いとなる。大正9年(1920)になると、生産量は北海道を第1とし、広島県690トン、岡山県475トン、和歌山県174トンで、日本第2の生産地となった。
だが、第二次大戦後、除虫菊の殺虫有効成分であるピレトリンが、合成されるようになり、作付面積は激減。本場因島の最盛期には、350ヘクタールあったが、昭和52年(1977)には、1ヘクタールとなった。現在は、観光用にわずかに栽培されている。
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