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鞆のムロの木
(とものむろのき)
太宰帥(そち)、大伴旅人が天平2年(730)に京へ上る道すがら、鞆の浦のムロの木に寄せて亡き妻をしのぶ歌を作った。
吾妹子(わぎもこ)が見し鞆の浦のむろの木は 常世(とこよ)にあれど見し人ぞ亡き
など3首(巻3)である。
ここに歌われたムロの木はもう現存していないが、果たしてどういう木であったか、今もこの地方で「モロギ」と呼ばれ、仙酔島(せんすいとう)・後山一帯に自生している常緑針葉樹のネズ(ネズミサシ)であろうとする説が有力であるが、万葉集の原文に「天木香樹」と表記されているので、高木にはならないネズではなく同じヒノキ科のイブキ(ビャクシン)であろうとする説もあり、定説に至っていない。
同じ福山市の金江に、目通り幹囲4.3メートルもあるネズの老木があり、幹は枯死しているが側枝はなお生きていて樹高8メートルに達しているので、必ずしもネズが高木にならないとはいえないとして、ネズ説の一つの根拠にされている。
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