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郡山城跡のシラカシ(こおりやまじょうあとのしらかし)

 郡山城跡は、町の北にそびえる独立丘陵全てを城構えにとりこんだ、15世紀末の西日本を代表する城郭であるが、その城跡にはシラカシが多い。シラカシは槍の柄としてよく用いられたといわれており、それに由来するのであろうか。
 シラカシといえば、今は廃寺となった毛利元就(もとなり)の菩提寺洞春寺の一角、一族の墓所より一段高く元就の墓所があり、その墓域を示す土盛りのそばに、シラカシとともに既に枯死した一本の樹木が立っている。それを地元ではハリイブキと呼び、鎌倉の建長寺とこの地にしかない、たぐい稀な名木であると伝えるとともに、いつの頃からか、この枯れ木に芽が出ると、吉田に再び御城ができ町が栄えるという伝えがあった。元治元年(1864)この枯木に芽が出た。しかもその年、浅野長厚の陣屋が郡山南麓に設けられ、吉田の町はおおいに湧いたが、慶応3年(1867)の大政奉還により、浅野氏は吉田を去っていった。元治元年のそれは、カシの木の芽であったというが、城跡に多いシラカシの実が落ちて発芽したのであろう。ハリイブキについては詳びらかでないが、鎌倉の建長寺ゆかりの木であるならビャクシンであろうかと考えられる。毛利氏の本貫地、または先祖大江広元に由縁をもって移植されたのであろうか。
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