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竹原の町並み(たけはらのまちなみ)

 竹原市街地の東側を流れる本川のさらに東の山麓には、古い町屋が集中的に分布し、近世の町並みの面影を伝えている。
 このあたりは近世には賀茂郡下市村といい、正保3年(1646)から大新開の干拓を行ったが塩気が多いため適さなかったが、赤穂(あこう)から技術者を招いて塩浜への転換を試みて成功した。慶安3年(1650)の古浜、承応元年(1652)の新浜が成立し、竹原塩田の基礎が築かれた。近世中期、竹原塩田の塩の販売高は24万俵から28万俵で、その大部分は北国と江戸へ送られた。このような経済的発展を背景に、町人文化が栄え、頼(らい)山陽などの文人を輩出した。
 東側の山麓やや小高い所には、浄土真宗照蓮寺、浄土宗西方寺(さいほうじ)、清水(きよみず)の高舞台を模したという普明(ふめい)閣、真言宗長生寺が町並みを見下すように建つ。頼惟清(ただすが)旧宅・春風館、吉井・大瀬・松阪・亀田・竹鶴・堀友など各氏の町屋や酒造用井戸・ゑびす堂・地蔵堂が町中にみられる。そのほぼ中央に、町並保存センターと歴史民俗資料館がある。
 重厚な本瓦葺き、白壁造りの技術の粋を集めた町並みは、国の重要伝統的建造物群保存地区に指定され、保存と活用がはかられている。
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