文化をめぐる−広島県の文化資源−

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平家谷(へいけだに)

 福山市沼隈町中山南の横倉は800年にわたって平家伝説を今に伝える地域として猜寝斑″と通称されている。
 源平屋島合戦のあと、鞆の浦に上陸した平家方は旧沼隈町能登原(福山市)に陣取り、田島に陣した源氏方と対峙、平家方は清盛のおい能登守教経(のりつね)が指揮、源氏方は扇の的で有名な那須与一を陣頭に合戦におよんだが、平家方が敗れて壇の浦目指して落ちのびたという。文治元年(1185)のことである。能登守が陣したので能登原という名がついたなど、この合戦にまつわる伝承が多く伝えられるが、平家谷伝説もその1つ。教経の兄、通盛主従が山1つ越えた横倉へかくれ住み、平家再興の機会を待ったというのである。
 横倉は南北約3キロメートルの谷間の村里、通盛主従を祀る通盛神社(平家宮)、赤い旗を祀る赤幡神社、通盛の妻、小宰相局の墓と伝える墓石のある福泉坊、一行が8日間ひそんだという八日谷、平家再興の武技に励んだという弓場などなど。白い色を嫌い、神社の垂(しで)までも赤一色。四季折々の草花が咲き乱れる中で通盛神社、赤幡神社の椿の花が地上を平家の色の赤一色に染めて散る様子は特に見事。谷奥には「花しょうぶ園」も設けられている。
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