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仙養ヶ原(せんようがはら)

 神石高原の南東部、台地上に仙養ヶ原がある。旧神石郡豊松村(神石高原町)南部にもかかる県下一の原野で、火山灰質の黒土に覆われている。標高700メートルの地で、東西2.5キロメートル、南北1.5キロメートル、面積400ヘクタール。
 戦前は、福山歩兵連隊の演習地として使われた。神石郡内の学校や青年団などの総合運動会、遠足などに使われた。大正15年(1926)には、犬競馬会が行われた。
 また、大正から昭和20年代までは、6月から10月まで麓の村落から和牛が放牧され、「神石牛」の育成がはかられた。当時の写真をみると何百頭という和牛の親子が、仲良く草をはむのどかな風景が見られる。
 高原状の台地の一角に、牛馬の守護神大仙神社が祀られている。そのかたわらには、江戸初期、善養院なる道士が、仙養ケ原に草庵を開き修行にはげんだという仙養坊の小祠がある。善養院はほら貝を吹く名手で、その音は十里四方に響いたという。福山藩主水野勝成は、彼を召し抱えようとしたが、軍用に使われることを好まず拒絶した。このため善養院は井戸に石詰めにされ殺された。この後この地方に凶作が続き善養院業死のたたりであると小祠(こぼこら)を建てて仙養坊と名づけ信仰した。
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