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福田・木の宗山銅鐸・銅剣・銅戈出土地(ふくだ・きのむねやまどうたく・どうけん・どうかしゅつどち)

 銅鐸、銅剣、銅戈は、銅矛(どうほこ)とともに弥生時代の遺物である。明治24年(1891)同地の光町(みつまち)尽三郎氏がみた夢により、木の宗山西南の中腹にある通称「金の段」(かねのだん)の烏帽子(えぼし)岩の下から銅鐸1、銅剣1、銅戈1を掘り出して有名になった。
 木の宗山(標高413.1メートル)は、山陽自動車道の広島東インターの西北にあり、銅鐸などの出土した場所は、標高260メートル(盆地との比高約160メートル)の西南にのびたややゆるやかな肩部に当たり、烏帽子岩は平地からも望める。山腹の大岩の下に青銅器類を一括して埋納した遺跡として注目される。
 銅鐸は外縁鈕(がいえんちゅう)式と呼ばれ、高さ18.9センチ、重さ470グラム、文様が横に区切られるので横帯文、本例が初めての出土なので福田型、文様が眼を表現するので邪視文銅鐸(じゃしもんどうたく)などとよばれる。
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