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銀山城跡(かなやまじょうあと)

 太田川下流西側の武田(たけだ)山(標高411メートル)にあった山城。安芸国守護(しゅご)武田(たけだ)氏の居城で、政治の拠点であった。また、佐東(さとう)川(現古川(ふるかわ))を見おろし、付近の己斐(こい)、府中(ふちゅう)、八木(やぎ)、高松(たかまつ)、伴(とも)などの城塞網の中心の位置を占めていた。中世の文献には「金山城」と記されているが、近世以降には「銀山城」の表記が多い。
 甲斐(かい)国(山梨県)守護武田信光(のぶみつ)は、承久の変(1221)後に安芸国守護を兼ねることとなった。築城の時期については諸説があるが、幕府が元軍の襲来に備えて御家人を西国の任地へ赴かせた鎌倉中期以降と推察される。
 千畳敷(せんじょうじき)と呼ばれた本丸の郭(くるわ)を中心に馬返し、御門、観音堂、上高間、下高間、馬場など約40の郭が山麓から山頂にかけて残る。このうち御門には、鉤(かぎ)の手の石積(いしずみ)遺構があり、近世城郭の枡形(ますがた)の祖型として注目される。
 天文(てんぶん)10年(1541)毛利元就(もとなり)の軍勢の攻略によって落城した。その後は大内氏、次いで毛利氏が城番を置いていた。
 山麓(さんろく)には、武田氏勧請と伝える新羅(しんら)神社、日吉(ひよし)神社や光見寺(こうけんじ)跡、仏護(ぶつご)寺跡がある。
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