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八木用水路(やぎようすいろ)

 太田川の下流、安芸国沼田郡八木村(現広島市安佐南区八木)から、緑井(みどりい)、古市(ふるいち)、祇園(ぎおん)、新庄(しんじょう)、三篠(みささ)と、村々の水田を湿し、その水路は十数キロにも及ぶ。これらの地域は都市化して、水路の存在すら忘れられがちだが、市街のあちこちに、約200年の昔から流れを止めることのない用水路である。
 この用水路は「八木用水」「定用水」(常用水)と名付けられ、取水は、可部(広島市安佐北区)の市街を望む対岸である。
 明和(めいわ)4年(1767)沼田郡南下安村の卯之助(うのすけ)が、八木村の十歩一(じゅうぶいち)からの取水を思い立ち、灌漑地域となる村々の土地の高低や、既存の水路などをよく検討して、明和5年(1768)4月着工、幅2メートル、長さ16キロ、9ヵ村にわたる水田230町歩(約230ヘクタール)への水路を、同月28日に完成させた。この短い工期からみて、これまでの水路を若干手直しすることにより永続的な用水路を設定したものと見られる。
 八木地区の細野(ほその)神社の鳥居のかたわらに、卯之助の功を讃える「定用水碑」が建っている。文化(ぶんか)14年(1817)卯之助の子、巳之助(みのすけ)が建てたものである。
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