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頼山陽居室
(らいさんようきょしつ)
頼山陽(本名襄(のぼる))は安永(あんえい)9年(1780)広島藩の儒学者頼春水(しゅんすい)の長男として大坂で生れ、広島城内の袋町の屋敷で育った。父はほとんど江戸住みで、14歳の頃までは母梅颸(ばいし)の手一つで育てられた。21歳で脱藩して京都に向かったが連れ戻されて24歳まで自宅離れに幽閉され、その間『日本外史(にほんがいし)』の稿本を作ったといわれる。
その時幽閉された離れの建物が頼山陽居室と呼ばれる建物で、木造平屋建、延べ40平方メートル、土間のほか、8畳、6.5畳の2間からなる。昭和11年(1936)史跡の指定を受けたが、原爆で倒壊、昭和31年(1956)にもとの形に復元再建された。居室の隣に山陽記念館がある。別に比治山には長くその”文徳”を伝えるために建てられた山陽文徳殿もある。
天保(てんぽう)3年(1832)52歳で没。墓は京都東山の長楽寺にある。
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