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音戸の瀬戸(おんどのせと)

 広島・宇品港から松山・高浜港へ向かう水中翼船が出港後10分もすると突然スピードをぐっと落とす。船窓には山の木立や民家が迫る。広い海から急に川に入ったのかと錯覚させるのが、ここ倉橋島北端の安芸郡音戸町(現呉市)とその対岸の呉市警固屋町との間にある音戸の瀬戸である。
 最も狭い所で幅約85メートル、水深4〜10メートルで潮流は時速10キロにもなる。大昔は地続きだったと見られ、平清盛が開さくしたとの言い伝えがある。その目的は厳島神社に参拝する近道をつくるためでしかも清盛は、沈む夕日を金扇で招きかえし1日で切り開いたという。ただこの言い伝えにははっきりとした史実がないが、この瀬戸の近くには清盛に関する口碑、伝承が数多く残っており、また、清盛の時代に厳島航路が瀬戸内各地で整備されたことなどから、その頃音戸の瀬戸にも何らかの手が加えられたのではとみられている。
 清盛ゆかりの史跡として瀬戸の南側の岩礁上に建っているのが清盛塚と呼ばれる4層の宝篋印石塔婆(室町時代作)である。
 瀬戸には、昭和36年(1961)、全長172メートルの音戸大橋が架けられ、倉橋島は呉市と地続きとなった。
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