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頼惟清旧宅
(らいこれすがきゅうたく)
惟清は別の名を紺屋(こうや)又十郎といい、文運の盛んな竹原の町で紺屋を営んでいた。和歌をよく詠じ、天明3年(1783)77歳で没した。その子春水(しゅんすい)(頼山陽の父)杏坪(きょうへい)は、ともに学者として名高く、広島藩の儒官となった。また春風(しゅんぷう)は竹原の家を継ぎ、後に医業をこととした。この3人は「三頼(さんらい)」と称せられた。
今日、竹原の旧宅は頼家発祥の家として旧状を保ち、昭和32年(1957)県史跡に指定されている。
旧宅は安永4年(1775)の建築で、広い通りの土間をもち、1列に部屋が並び、重層、入母屋(いりもや)造り、本瓦葺の母屋と、南に接する単層、切妻造り本瓦葦の離れ座敷からなっている。双方とも塗りごめ造りである。
母屋の道路側8畳の間が紺屋の店舗であったものと思われる。
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