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満越遺跡(みちごえいせき)

 瀬戸内海沿岸は、古くから製塩地帯として知られていた。松永湾の沿岸でも多数の縄文時代遺跡が分布するが、その最上層には古墳時代の製塩土器がみつかっている。中でも満越遺跡は、沼隈半島から西に突出した竜王山の南西麓にあり、かっては島の南面した浜であったと考えられる。
 遺跡は、標高2〜3メートル、東西150メートル、南北100メートルの範囲で、今は畑となっている砂浜の各所に、多量の古墳時代の製塩土器、土師器、須恵器などが散在する。昭和57年(1982)から尾道市教育委員会が、その範囲確認の調査を行った。製塩炉跡約20ヵ所と、それに伴う古墳時代前期から後期におよぶ莫大な量の製塩土器片が出土している。
 当時の製塩の方法は、直径1.5メートル前後の楕円形の炉を粘土や石でつくり、これに濃縮した海水を入れた製塩土器を立て並べ、薪を燃やして塩をとる。製塩土器は、1回の操業で破損するので多量のものが必要であった。これを土器製塩と呼び、弥生時代の終末から古代の鉄製の大型の釜が出現するまで続いた。
 満越遺跡は、瀬戸内海地域の古墳時代製塩遺跡として、最大規模のものである。
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