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熊野窯跡群(くまのかまあとぐん)

 古代の焼物の中で須恵器と呼ばれるものは、素焼であるが土師器などに比較して青灰色(せいかいしょく)をして硬質である。須恵器は、5世紀中頃朝鮮半島から、新しい焼物の技術が導入され、古代の主要な焼物となった。それには成形に轆轤(ろくろ)を使用していること、焼成には傾斜地に窖窯(あながま)を設け、還元焰(かんげんえん)焼成のため摂氏1000度前後の温度が上がり、灰が熔融して自然釉(ゆう)のつくものなどがある。
 備後南部の地域では、福山市松永町と熊野町を中心とした地域に須恵器を焼成した窯跡群がある。大きくは松永湾に注ぐ羽原川(はばらがわ)流域に分布する神村(かむら)窯跡群(10数基)と熊野町草田の山中に分布する熊野窯跡群(4基)に分けられている。
 熊野窯跡群は、小谷を望む丘陵傾斜地に設けられ、天井部の残る保存の良好な第1号は、長さ3.9メートル、最大の幅1.35メートル、高さ1.05メートルで、焚口を南に開いている。出土の須恵器は、高台付盤、坏、坩(かん)、甕(かめ)などで、これに平瓦がある。本窯跡群では、いずれも須恵器と瓦を焼成しており、瓦陶兼用の窯といえる。第4号出土の軒丸瓦からみると、その時期は平安時代のものと考えられる。
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