文化をめぐる−広島県の文化資源−

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明王院(みょうおういん)

 芦田川下流西岸にある明王院は、中道山円光寺(ちゅうどうさんえんこうじ)と号す寺院である。中世、現在の寺域には理智山常福寺(りちざんじょうふくじ)があり、近在の本庄(ほんじょう)に明王院円光寺があった。明王院は、水野氏福山入封後、同氏の祈願所となり、水野勝貞(かつさだ)は常福寺を廃号とし明王院を名のらせたのである。
 常福寺は、大同2年(807)弘法大師の開基と伝える。現在の本堂は、元応(げんおう)3年(1321)に紀貞経(きのさだつね)、沙門(しゃもん)頼秀の本願により再建されたもので、和様(わよう)を基調とし、細部に禅宗様(ぜんしゅうよう)と大仏様(だいぶつよう)を交えた折衷様(せっちゅうよう)の建物であるが、その基礎の下方に掘立穴(ほったてあな)の遺構が発見されており、前身建物の存在が明らかになっている。五重塔は、貞和(じょうわ)4年(1348)頼秀の勧進(かんじん)によって建てられ整えられた和様の建築である。
 両建物とも建築史上貴重なもので国宝に指定されている。当時常福寺の隆盛を背景に造立されたものであろう。さらに明徳2年(1391)9月28日の西大(さいだい)寺末寺帳に「草出(くさいず) 常福寺」などとみえ、草戸千軒町との関係をうかがわせている。
 近世の明王院は末寺48ヵ寺を擁し、本堂、五重塔、大門(だいもん)、鐘楼(しょうろう)、書院、庫裏(くり)など多数の建物を整えた。
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