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吉備津神社
(きびつじんじゃ)
備後国の一宮(いちのみや)で、近世までは吉備津宮(きびつのみや)、吉備津彦神社などと称されていたが、明治以降は吉備津神社と公称する。地元では「一宮(いっきゅう)さん」と呼ばれている。吉備が三国に分かれた時に吉備津神を各国に分祀したというが、当社は『延喜式(えんぎしき)』にはみえない。確実な史料に登場するのは、永万(ようまん)元年(1165)の神祗官年貢進納諸社注文写(しんぎかんねんぐしんのうしょしゃちゅうもんうつし)で、備後国では吉備津宮のみがみえる。この史料は各国の有力神社を列挙したものであり、すでに一宮(いちのみや)の地位にあったことが推定される。以後、備後における神祗信仰の中心となり、国内の社家を集めて行う座直(ざなお)り(宮座(みやざ))もあった。
社殿は山を背に東向きに並ぶ。鳥居から本殿(ほんでん)まで一直線に4段にわたって随身門(ずいしんもん)2、楽所(がくしょ)、神楽殿(かぐらでん)、拝殿(はいでん)と連なる。再三火災にあっており、これらの多くは近世に建てられた。現在の本殿は、慶安(けいあん)元年(1648)水野勝成の造立である。広大な境内には、他に祠堂やその跡、御手洗池などが点在し、往古の繁栄を伝えている。
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