文化をめぐる−広島県の文化資源−

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備後国府跡(びんごこくふあと)

 広島県は、古代には備後国と安芸国の2つの国からなっていた。各国には中央政府から国司が任ぜられ、国司の執務する国庁を中心に政治的な町が形成され、これを国府(国衙(こくが))などと呼んだ。
 府中と呼ばれる場所は、古代の国府の名残とみられるが、安芸国も備後国も現在の府中に最初から国衙があったかどうかは、疑われている。備後国では「八丁」の地名などから、福山市神辺町に国府が置かれたといわれるが、発掘調査の結果では明瞭にできなかった。
 府中市の府川一帯を国府に推定する説があり、昭和57年(1982)から広島県教育委員会、広島県立埋蔵文化財センター、府中市教育委員会などが、この付近一帯の調査を行っている。その結果、元町付近に古代の掘立柱の建物跡などが分布し、北西の丘陵地帯では、平安時代の緑釉陶器、須恵器、土師器類が出土している。国府域は、府中市元町を中心とした方四町を推定されているが、なお今後の検討を必要とする。また、この地域に最初からあったのかどうかの問題も、なお残されている。国ごとに置かれた国分寺は、国府の付近に置かれるのが多い。備後国分寺は福山市神辺町にあるので、これに関連した検討の余地も残されている。
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