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亀井尻瓦窯跡
(かめいじりかわらがまあと)
庄原市街地の南西には、国兼川沿いの東西に細長い河谷の平地が広がる。遺跡は、この平地を望む北側の丘陵裾に位置している。昭和39年(1964)、この付近の遺跡分布調査中に、発見されたもので、格子目(こうしめ)や縄目の叩(たた)き文を残す平瓦が出土し、奈良時代のものとみられるにいたった。その後昭和40年(1965)に庄原市教育委員会が主体となり、広島大学文学部考古学研究室によって発掘が行われた。古瓦の出土地は2ヵ所あり、西側のものではその上手の丘陵上に基壇状のかたまりがあり、寺院跡が推定されたが、明瞭な遺構は検出できなかった。東側のものは、瓦類を焼成した平窯1基であることがあきらかとなった。
窯跡は、平窯と呼ばれるもので、全長3.2メートル、最大幅2メートルで、4本のロストル(溝壁)をもち、羽子板上の平面形をなしている。燃焼室と焼成室の間に段差がない。古式の様相を示すのであろうか。丸瓦や平瓦には、格子目、縄目の叩き文があり、軒丸瓦には、三次市寺町廃寺・寺戸廃寺に共通した、8弁の複弁蓮華文の破片がある。窯の西側の台地は遺構が検出できなかったが、波塔崎という地名から寺院が推定される。
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