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国兼池
(くにかねいけ)
関西以西における4大溜池の1つに数えられている国兼池。丘陵状をなす台地の窪地をせき止めて、池を造ったのは、正保3年(1646)と言われている。当時は周辺からわき水を集めての小規模なものだったが、丘陵地の谷や平地一帯に水田が、次々と造成され、池の拡大が行われた。
文久(ぶんきゅう)3年(1863)頃には、池からおよそ10キロも離れている本村川(峰田町)から、大木をくり抜いた木管を敷設して導水を図った。
広島藩もこれに協力、土手を3メートルかさ上げし、周囲を14キロに広げる大工事を進めたが、工事は大変苛酷であったといわれている。
この池の改修拡張は、昭和29年(1954)に完全改修を終え、土手の高さ平均16メートル、水深12.4メートルの溜池を完成させた。
お国、お兼の伝説から国兼池と名付けられている。中国縦貫道は、池の西辺をかすめて走り、湖面の雄大さに思わず目を引かれる。
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