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毛利氏の城跡(もうりしのしろあと)

 毛利氏は、南北朝の初期(建武(けんむ)3年、1336)吉田(現安芸高田市)に入る。戦乱の続く南北朝期、応仁、文明の乱を生きぬいた毛利氏は、16世紀に入って元就(もとなり)の時に周辺を従え、ついには大内(おおうち)、尼子(あまこ)氏をも攻略して中国地方を制覇した。吉田にはこの毛利氏の歴史をあとずける様々な遺跡が残されている。
 郡山(こおりやま)城跡は、毛利氏が来往して以来、輝元(てるもと)が広島に築城して移るまで、その本拠となった城で、元就(もとなり)の入城以前は郡山の南東支尾根(旧本城)のみが使われ、吉田城と呼ばれた。天文9年(1540)の尼子氏を破った郡山合戦の頃、城域が拡大され、輝元(てるもと)の広島城移城時には郡山城中枢部は石垣も使われた近代的な城郭となっていた。
 毛利氏に関わる初期の城には琴崎(ことざき)城、天神山(てんじんやま)城などがあり、一族の城としては鈴尾(すずお)城(同町福原)、桂(かつら)城、平左(ひらさ)城などがある。多治比(たじひ)の猿掛城(さるかけじょう)では元就が幼少期を過ごしており、父弘元(ひろもと)夫妻の墓所もある。なお、毛利氏が戦国大名となって以後、郡山城の麓吉田には城下町ができ始めた。
 郡山山麓には、現在郡山公園があり、サクラ、ツツジなど自然と史跡の調和がすばらしい。遊歩道などがあり、郡山史跡探訪の基点となっている。
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