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下筒賀の社倉(しもつつがのしゃそう)

 社倉は、江戸時代の度重なる凶作飢饉に備えた、食料備蓄の施設である。
 広島藩の社倉は、寛延2年(1749)安芸郡矢野(やの)(現広島市安芸区)、押込(おしごめ)(現呉市)両村に始まり、明和7年(1770)には、藩が社倉を制度として奨励し始めたため急速に普及。各地に社倉が建った。下筒賀の社倉も、安永8年(1779)発起、建設されたものと見られている。
 下筒賀の社倉は、穀物の搬出入に便利な往還沿いにある。木造2階建て、土壁、茅葺き屋根、建坪は約5坪(約16.53平方メートル)。広島県内に残る社倉の中では、創建時の形態をよく残しており、昭和36年(1961)11月1日県史跡に指定された。
 土蔵の構造は、「坊主型」と呼ばれ、屋根と蔵の本体が別になっており、屋根を置いた形となっている。
 この社倉は、元麦を「救麦」、「永貸穀」、「永利穀」の3種に分け、運営した。
 社倉の板壁には、次のような落書きが残っており、古き時代を偲ばせる。「天保6年末7月5日麦納木坂組」、「弘化(こうか)5申年3月6日御免永貸穀貸付」。
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