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古保利の薬師堂(こほりのやくしどう)

 福光寺(ふっこうじ)跡に建つこの堂の中には、半丈六(はんじょうろく)の木造薬師如来坐像(やくしにょらいざぞう)と日光(にっこう)、月光(がっこう)両菩薩(ぼさつ)立像をはじめ、十一面観音立像3、千手(せんじゅ)観音立像、吉祥天(きっしょうてん)立像、四天王立像4などがあり、いずれ劣らぬ一木造(いちぼくづくり)の貞観(じょうがん)彫刻である。薬師如来が福光寺の本尊で、日光、月光両菩薩はその脇侍(わきじ)とされている。
 福光寺について『芸藩通志』は、古保利山金蔵院と号し、49坊を有し、寺領300石を受けていた大寺であったと伝えている。平安時代後期、この一帯は厳島社領壬生(みぶ)荘の地域であり、荘内壬生郷に福光名(ふくみつみょう)という40町を超える大規模名があり、その名は荘の下司(げし)・公文(くもん)としてみえる凡(おおし)氏が領有するものであった。福光寺は、福光名あるいは凡氏と深い関係を有していたと考えられる。
 中世になると吉川(きっかわ)氏の祈願寺(きがんじ)になったが、同氏の岩国転封あるいは付近が真宗化の波にさらされた中世から近世の移行期に廃寺となり、その仏像群が小堂の中に眠ることになったのであった。
 薬師堂の石段を上りきった左側に、樹高約30メートル、胸高幹囲約6メートルの大ヒノキが立ち、仏像群とともに往古の繁栄を伝えていたが、平成3年(1991)秋、台風のため棄損した。
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