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神田第2号古墳(じんでんだいにごうこふん)

 古墳は、世羅町堀越の平地から北側の丘陵を、万福寺跡(県史跡)に行く登り口にある。この古墳はすでに盛土の大部分が流出し、玄室や羨道の半ばが壊れて危険な状態であった。昭和61年(1986)県史跡に指定の機会に、世羅町教育委員会が主体となって、現在みられるように修復された。
 古墳は、横穴式石室を内部主体とするもので、もとは方形もしくは長方形に近い墳形をなしていたようである。石室は、玄室の長側壁の中央に羨道が取り付き、T字形の平面形を成し、さらに玄室と羨道との封鎖に1枚の扉石のつくところに、大きな特色がある。玄室と羨道の間の玄門部に軸受石をおき、これに上下の1端に突起を持つ方形に近い扉石がはめこまれ、開閉できる。
 整美な切石でもって玄室を作る手法は、三原市本郷町御年代古墳(史跡)や福山市新市町尾市古墳などに共通した終末期(7世紀)古墳の特徴である。軸(じく)式片開きの扉石をつけた古墳は、近畿でも数例があるにすぎない。第2号古墳の東北部に平行して第1号古墳があり、これは通有の横穴式石室である。
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