広島県の文化資源画像

音戸大橋と音戸渡船(おんどおおはしとおんどとせん)

 呉と音戸(倉橋島)の間は約150メートル、干潮時には陸続きとなり、船の航行ができず、大きく迂回しなければならなかった。
 その開削工事を行ったのが平清盛といわれ、日招きの伝説は余りにも有名である。
 現在の「伝清盛塚」は清盛の供養塔といわれ、宝篋(ほうきょう)印塔が建てられている(県史跡)。その後、音戸の瀬戸は「海の銀座」といわれるほどの船の行き来を見るに至った。
 昭和36年(1961)その音戸の瀬戸をまたぐ音戸大橋が完成し、島は呉市と陸続きになった。両岸の狭い地形を生かすために、らせん構造、ループ式のアプローチ、朱色のアーチ式の橋梁は、独自のすばらしい景観である。
 一方、従来から陸地と島と人々を営々として運んできた「音戸の渡し」は現在も残っており、新旧取り混ぜた人々の営みを目の当たりに見るとき一段と風情を感じる。
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