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玉伝道路(ぎょくでんどうろ)

 現在呉市に合併した安浦町安登(あと)と川尻町小用(こよう)は、『芸藩通志』によると賀茂郡に属する内海跡村として1村であった。安登は四方を山に囲まれて、海辺なれど海を見ず、小用はその南西に位置する海浜で飛郷になっていた。
 安登と小用を結ぶ必要性は村人の誰もが認めるところであったが、険阻(けんそ)な堀越峠に阻まれて、細い山道を通すのがやっとであった。
 文政のころ(19世紀初め)、当村の真宗浄念寺(じょうねんじ)の僧玉伝(ぎょくでん)は、村人のこの難儀を見兼ね、自費でもって道を拡幅し、峠を6尺(約1.8メートル)以上も切り下げて、通行の便を図ったという。この後、玉伝道路の称をもって彼の功績を伝えている。
 現在、国道185号を西に進み、市迫地区入口に差し掛かる辺りに「右 川尻、左 小洋」と記した道標が建っていた。さらに庚申塚(こうしんづか)があって、仏像が安置されていたという。この地点から小用港までは約2キロメートルである。玉伝以後、しばしば道路改良が行われ、自動車の走る舗装道路となっており、峠も、当時よりさらに大幅に削り下げられている。
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