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杭の牛市往来(くいのうしいちおうらい)

 旧久井町は、昔備後の国「杭の庄」といった。大仙市、浜の市とともに、日本の三大市場として栄えた所。
 その起源は、天暦5年(951)室山で、牛1頭の取り引きがあり、その牛の成育が、ことのほかよかったところから、杭稲生神社の御神徳によるものと信じられ、室山で牛の取り引きが頻繁に行われ始めた。一説によれば応和3年(963)が市の起源といわれているが、牛馬市の基礎が定まるのは、このころからのようである。
 杭は、備後奥地から出雲・伯耆にかけて大産牛地帯を控えていること、消費地関西方面への積み出しに便利な尾道、三原などに近かったことが、市場拡大に好都合だった。稲生神社は天慶元年(938)の創建と伝えられ、牛馬市の活況によって、門前町は発展した。
 慶長年間(1596―1615)には、四国、九州、大阪方面から商人や牛馬が殺到するようになり、明治終わりころには年間一万数千頭の取り引きがあった。
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