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石見銀山街道と尾道
(いわみぎんざんかいどうとおのみち)
近世の西国街道は、大名の参勤交代に利用されるなど当時の幹線道路であった。福山藩と広島藩は、尾道の東の外れ防地(ぼうじ)峠に関所を置き、両藩の接点とした。浄土寺山の稜線(りょうせん)を北に伸ばした辺り。
防地峠から西へ下った長江(ながえ)で、西国街道から石州道(せきしゅうみち)が北へ分岐する。現在の長江口バス停から山陽本線をくぐり抜けて約100メートル北に進んだ場所に「右いづも往来 安政6年」の石の道標が残り、昔の面影を伝えている。
『芸藩通志』は、石見路出雲赤名越とし、尾道から御調郡・世羅郡・三次郡を経て出雲国界に至るとしている。この道は、幕府領石見大森銀山の銀を運搬したところから、「石州銀山道」とも称された。山陰の大名や幕府代官の往来、山陰側からの物資輸送にも利用された。
大森銀山から西国街道へ出る道としては、他に山県・高宮・沼田(ぬまた)の各郡を経て広島へ至るもの、甲奴・芦田(あしだ)・深津の各郡を経て福山へ至るものなどがあった。
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