広島県の文化資源画像

石見銀山街道と市の宿(いわみぎんざんかいどうといちのしゅく)

 市の宿は、文字通りの市の町のこと。何々市という地名は多いが、「市」という一文字だけの町名は珍しい。尾道市街から北へ18キロメートル、畑の峠を越えると、小さな山間の盆地に市の宿場が開かれていた。ここは、尾道と甲山、国府(府中)、久井への街道が十字に交差する所。東西南北に走る街道の要衝に発達した町であった。
 天正10年(1582)ごろ、池上因幡守が、雲雀山に築城して開けた城下町といわれているが、地の利を見通した計画であった。出雲参りや、石州銀、米の運搬、牛市など、旅人や商人がひしめき合ったことであろう。特に、世羅町甲山の今高野山は、紀州高野山の管轄にあって、太田荘の年貢米を尾道まで運び、船で大阪港へ送り込む役割を持っていた。甲山から尾道への30キロメートル、その中間に市は位置を占めていたから、宿場、中継地としてもってこいだった。
 市の人たちは“石見街道”と呼び、当時の旅人宿と思われる古風な建物が現存している。
3_1_05002.jpg

前のページへ戻る