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瀬戸内海航路(せとないかいこうろ)

 多島美を誇る瀬戸内海は、古代から交通の要衝であった。遣隋使(けんずいし)や遣唐使の船を造り、送り迎え、中国や朝鮮半島からの人々を迎えた。平清盛は、日宋(にっそう)貿易に注目し、瀬戸内海航路の整備に力を入れた。「音戸の瀬戸」開削の伝説が残るのも無理からぬところがある。中世には、庄園年貢をはじめ物資輸送や日明(にちみん)貿易などの大動脈で、その港は尾道をはじめ沿岸・島しょに散在していた。
 近世になると、西廻り航路が開かれ、中世の地乗りから沖乗りへとコースが沖合いへ変わった。近代に入り、鉄道が敷設されても物資輸送の中枢としての位置は揺るがなかった。
 現在、本州と島、島と島、九州や四国を結ぶ定期航路は現代社会の動向を反映し、高速艇やフェリーボートが目立って多くなっている。
 今や、島から島へ架橋が進み、各島内では一周道路など道路網の整備が行われている。瀬戸内海航路は、大きな曲がり角に差し掛かっているのである。
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