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石州街道と四軒家地蔵堂(せきしゅうかいどうとよんけんやじぞうどう)

 石州街道は石州往還・銀山道ともいわれるように、新市町戸手から北上して府中市出口・荒谷・上下町などを経て中国山地を越え、石見国大森銀山に通じている道であり、毎年秋には運上銀・銅を運ぶための人足約400人に馬約300頭という大輸送団が通過して、南隣の神辺駅を経て備中の笠岡へ向かって行ったという。
 四軒家地蔵堂は、石州街道と古代山陽道の分岐点にある辻堂である。この地蔵堂は、須佐神社(三次市甲奴町)・沼名前(ぬなくま)神社(福山市鞆町)とともに、備後国三祇園社として著名な素佐嗚(すさのお)神社(天王社)のすぐそばにある。古人には、辻占いなどの言葉が伝わっているように、四辻は神慮を聞くことのできる所、また逆に魔が出て災いをなす場所など、1つの境をなす不安定で不可解な現象のある所という思想があり、塞の神や道祖神と同じような役割を果たす地蔵尊が安置されたものであろうか。いつのころ辻堂が建立されたかつまびらかでないが、再興の棟札によると1番古いものは天和3年(1683)とあり、地元の人々は生活の安穏を、旅人はこれからの旅の安全を祈る辻堂として、現在まで守り伝えられてきたものである。
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