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鞆港と小路(ともこうとこうじ)

 鞆の港は沼隈半島の東南端にある。港が巴(ともえ)字形をしているので巴津(ともえづ)ともいう。伝説によると神功皇后が三韓からの帰途、手に巻いた鞆を沼名前(ぬなくま)の神に納められてから鞆(とも)の名を得たともいわれている。奈良・平安の昔から港として知られ、潮待ち、風待ちの港として、また地乗り、沖乗りの着く港として近世の西廻り航路の重要な寄航地であった。このほか福山の外港としても栄えていた。
 万葉集には大伴旅人の鞆ノ浦を詠んだ歌があり、多くの文人の吟詠するところとなっていた。対岸の仙酔島を中心に、瀬戸内海国立公園の白眉となっている。
 港には寛政年間(1789―1801)構築の防波堤、安政年間(1854―1860)の常夜燈、雁木(がんぎ)、浜倉などがあり、古い港町の景観をよく残している。
 江戸時代以来の古い歴史的町並みを残し、特に、港に沿った幾つかの小路や、明円寺に至る坂道、さらに町並みを北に入って顕政(けんしょう)寺、妙蓮寺の小路や、鞆集会所前の東西の小路は港とともに往時をしのんで散策するのに適している。
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