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浦辺道(うらべみち)

 『芸藩通志』によると、近世、賀茂郡に属した三津・風早・小松原・三津口・内海・下垣内・川尻・仁方・広・阿賀の10村を浦辺(うらべ)筋と呼んでいた。さらに三津の東に接する、近世の豊田郡の木谷・吉名・高崎・福田・小泉・忠海・渡瀬・能地・田野浦・須波の10村を浦郷と称した。これらの諸村はほとんど海に臨んでおり、陸路による連路には山越えの難所を伴う場合が多かった。この道が、浦辺道と呼ばれるもので、現在、海岸線を走る国道185号からみれば、はるか山寄りを通っていた。
 旧安芸津町井坂峠の「大田首なし地蔵」から風早山口までの道は、その面影を伝える1つである。幅3尺(約1メートル)の山道で、県道内海―三津線ができる明治20年(1887)ごろまでは盛況で、茶店も6軒あったと伝えている。
 竹原市忠海町鍵坪にも、浦辺道の道標が残っている。浦辺道から床浦神社の参道へ分岐する場所に建つ自然石で、「是より右竹原左床浦」と刻まれている。
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