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海田宿(かいたしゅく)

 海田は古来交通の要衝であった。平安末期に成立した開田(かいた)庄は、その中心が奥海田(現在の海田町東海田)であったと推定されているが、当地も含まれていた。応安4年(1371)今川了俊は、この辺りに20日ばかり滞在し、「晦日はかひだとかやいふ浦につきぬ。みなみには深山かさなりたり、ふもとに入海のひがたはるばるとみえ、北の山ぎはに所々家あり」『道ゆきぶり』と記している。江戸時代に入ると山陽道の宿駅の一つとして海田宿があった。『芸藩通志』に、「海田駅吹館庁あり、伝馬十五匹を設く(以下略)」とあり、参勤交代の大名の宿舎として、藩の設けた御茶屋もある本格的な宿であった。
 旧山陽道にのびる町並みは、今も当時の面影を強く残している。御茶屋は、明治時代町に買い取られ小学校に改造されたが、2つの脇本陣は現在も当時の姿をしのばせてくれる。
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