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新庄と国境碑
(しんじょうとこっきょうひ)
古来、中国山地越えには幾筋もの道が開かれているが、安芸国側から石見国側への三坂峠越えの道もその1つで、古くから鉄や塩が往来する道として知られていた。鎌倉時代に吉川氏が新庄に本拠を構え、石見国にも勢力を伸ばしたのは、この道を通じてであろうか。
江戸時代には陰陽を往来するための主要な道、石見街道として改修が行われ、広島と浜田を結ぶ街道であるところから浜田往来とも呼ばれた。その途中の宮ノ庄一里塚から分岐して石見国の大森銀山に続く道は大森往還といわれていた。そのような陰陽の国境にある峠に国境碑(境界石)が建っている。市木三坂峠のそれには「従是東安芸国(裏)山県郡大塚村」と刻まれている。石柱であるが、古くは御杭木といわれ、正徳ごろ(1711―1716)の記録には「従是東松平安芸守領」と記されている。浜田往来から分かれた大森往還が越える峠は時雨三坂亀谷峠と呼ばれており、その国境にもほぼ同様の石柱が建てられていた。
今もなお市木三坂峠には国境碑が建ち、いつのころにか取り替えられた旧碑は大塚専教寺に保存されている。
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