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光友の石畳
(みつとものいしだたみ)
赤松の疎林を縫って、1本の石畳道が続く。ススキや灌木に覆われて、石がわずかに顔をのぞかせている。もう何年も人通りのない道筋。古道は、ひそやかに山すそに隠れていた。
この石畳道は、大永2年(1522)津田明神山の城主、金築少輔七郎の家臣、中村宗太郎光重が構築したものと伝えられている。現在残っている石畳は、延長110メートル、幅1.5〜1.7メートルの整然としたもので、山麓の緩やかな傾斜地を横切っている。点々と石がはがれ、底土の現れたところも多い。平滑でそろった石であるところから、庭石などに持ち去ったものという。
この石畳は、地下水位の比較的高い、赤粘土層の部位に敷き詰められている。三次、三原間の往還であり、往来する人たちは、石畳の敷かれたことによって、滑ることもなく、風景を楽しみながら歩いたことであろう。こうした古い石畳道が、文化財として見直され注目されてきたことは、昔の道と旅を知る上に喜ばしいことである。
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