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桂浜神社本殿(かつらはまじんじゃほんでん)

 桂が浜は、白砂青松の浜が広がっていて風光明媚(めいび)であり、夏は海水浴客でにぎわっている。倉橋島は、かつて長門(ながと)島と呼ばれ、奈良時代には遣新羅(しらぎ)使の船がこの島に停泊し、その時詠まれた歌が、『万葉集』に8首載っている。このため、この浜の一帯は「万葉集遺跡長門島松原」として県史跡に指定されている。また、浜の端に幕末の洋式ドック跡があり、造船の島の面影を今日に伝えている。
 浜の背後に小高い山があり、石段を登っていくと桂浜神社に至り、拝殿、祝詞殿(のりとでん)と続き、その奥の1段高まったところに本殿がある。祭神は宗像(むなかた)三女神といわれる。
 本殿の建築に関する資料としては、根太(ねだ)残片に書かれた棟札に、文明12年(1480)再興の墨書があり、また身舎(もや)の柱にも永正8年(1511)に参籠(さんろう)した僧の墨書がある。本殿は、桁行(けたゆき)5.5メートル、梁間(はりま)5.1メートルの前室付き三間社流(さんげんしゃながれ)造りで、屋根は杮葺(こけらぶ)きである。総体に木割が細く、柱は身舎、庇(ひさし)とも円柱とし、組物は拳鼻(こぶしばな)付き平(ひら)3斗(と)、隅連3斗で中備はない。身舎の正面の、中央間は板扉、脇間は板壁となっている。屋根まわりの庇は両端を海老虹梁(えびこうりょう)でつなぎ、軒は繁垂木(しげたるき)で正面を2軒、背面を1軒としている。
 全体に木細く、簡素な造りであり、意匠的に優れている。昭和61年9月に、全面解体復元修理が完了した。
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