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大浜の社倉(おおはまのしゃそう)

 大浜の社倉は、瀬戸内海芸予諸島の1つ大崎下島の西南部の旧大浜村(現在の呉市豊浜町大浜)のものである。
 ところで、社倉はいつ頃、何のために設けられたものであろうか。広島藩では、江戸時代中頃以降財政が窮乏し、そのしわよせは結局農民に転嫁され、農村は疲幣していた。享保(きょうほう)17年(1732)の大飢饉(ききん)には大きな被害がでた。これを機に藩では、備荒貯蓄の方策を検討していたが、寛延2年(1749)安芸郡矢野村(現広島市)などで社倉を行い、宝暦6年(1756)の飢饉の際には藩の救済を受けずに1人の飢餓(きが)人もださなかった。このため藩では、この社倉の有効性に注目し、幕府命令による囲籾(かこいもみ)とは別に、社倉法を全藩において実施することとし、天明6年(1786)には全藩内町村にいきわたった。
 社倉により備蓄するのは一般には麦であった。麦は、年貢米との混同がなく、虫もつきにくかったためといわれている。社倉の土蔵といわれるものは県内各地に残っており、大浜の社倉もその1つである。
 大浜の社倉(県史跡)は、平屋建てで、切妻造り本瓦葺き、柱材はクリの木、梁(はり)はクスの木を使用している。間口3間、奥行2間の床張りのある社倉蔵である。
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