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若胡子屋跡(わかえびすやあと)

 寛永15年(1638)の大長(おおちょう)村地詰(じつめ)帳によると、後の御手洗(みたらい)町分に属する田畠は8町6反余で、屋敷は皆無であった。しかし、この直後から、瀬戸内海の航路は「地乗り」から「沖乗り」へと発展し、御手洗はその要衝にあたるうえに、前方に岡村島を配し、船泊(ふなど)まりとして絶好であったから、人々の来住が始まり、港町として急速に整備されて行った。
 茶屋は、西廻(まわ)り海運など商船誘致のうえに大きな役割を果たした。その1つが若胡子屋で、享保(きょうほう)9年(1724)に免許を与えられ、一時は、遊女99人を抱えるほどの盛況であった。この建物は、入母屋造り、本瓦葺き、2階建て、大壁造りで、狭い路地の奥にあり、かつての面影を伝えている。2階の部屋には、遊客の落書きやかむろ(遊女の使用人の少女)の手形などが残っている。
 若胡子屋は、近世、中継的商業港として発展した御手洗の1つの顔であった。その派手なにぎわいも、その基礎の部分で悲しい女性の生活によって支えられていたことを忘れてはならない。県史跡に指定されている。
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