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福田の社倉
(ふくだのしゃそう)
社倉は、飢饉(ききん)に備えて穀物の備蓄をするものである。18世紀中頃、海田市の儒者加藤友益の弟子、安芸郡矢野村(現広島市安芸区)尾崎神社祠官香川正直の指揮によって実施され有効性が実証されたのをみて、広島藩が全藩で制度化した、江戸時代の一種の社会保障制度である。
福田村(現竹原市福田町)では、安永9年(1780)に、村内の農民から取り集めた分麦1斗(と)と庄屋の寄附した4升(しょう)に、藩から支給された1斗の計2斗4升の麦で社倉法が始められ、さらに翌年には農民から5斗9升余、天明6年(1786)には家別・高割のかたちで村内から9石8斗2升余を集め、前年藩から追加された1石1斗8升余を合わせて11石7斗3升余となった。15歳から60歳までの男21人は1日2合ずつ、女子22人は1日1合2勺(しゃく)ずつ、老人・小児18人には1日1合ずつ、計61人の者に、11月から新麦のできる翌4月までの6か月間給付できるだけのものが必要であり、寛政元年(1789)までで15石5斗5升2合であった。
安永9年から明治7年(1874)まで続いて利用されたといわれる。
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