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佛通寺の堂塔(ぶっつうじのどうとう)

 当寺は、臨済宗佛通寺派の本山で、その堂塔は、仏通寺川渓谷の両岸に立ち並ぶ。
 応永4年(1397)、沼田(ぬた)庄の地頭であった小早川春平(はるひら)が愚中周及(ぐちゅうしゅうきゅう)を招いて創立した。寺号は周及の師佛通禅師に因(ちな)んでいる。堂塔の建設は小早川氏の政治的・経済的な力を背景として行われ、春平の子則平の時にほぼ寺容が整った。室町時代における当寺は、山中に88ヵ寺、末寺が12国3千ヵ寺に及ぶほどの盛況であったが、福島・浅野時代に一時衰退した。
 左岸山腹にある含輝院(がんきいん)地蔵堂は、応永18年(1411)に造立された当初のものである。桁行(けたゆき)・梁間(はりま)各三間、一重・方形造り、もと茅(かや)葺きで、国の重要文化財に指定されている。これと並ぶ開山堂も再度の火災を免れて古い。
 右岸には、本堂、庫裏(くり)をはじめとする多数の堂塔が立ち並んでいる。静寂の中でかもし出される雰囲気は、禅宗寺院特有のものであろう。境内全域が三原市の史跡に指定されている。県天然記念物「佛通寺のイヌマキ」は、周及の御手植と伝えられている。
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