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宗光寺山門(そうこうじさんもん)

 当寺は、もと匡真寺(きょうしんじ)と称する臨済宗寺院であった。天正4年(1576)、小早川隆景(たかかげ)の父母である毛利元就(もとなり)夫妻の年忌を弔うために、本郷新高山(にいたかやま)城内(旧豊田郡本郷町)に建立したとされる。その後、小早川氏の三原築城・移転に伴い、当寺も三原へ移った。慶長5年(1600)、福島氏が芸備へ入国し、養山方育が住職になってから、曹洞宗(そうとうしゅう)に改宗し、宗光寺と称するようになった。近世には、当地方の曹洞宗寺院の中心で、末寺37ヵ寺、配下8ヵ寺を擁したが、享保(きょうほう)10年(1725)に火災にあい、山門を除いて焼失した。
 山門は、このような経過をよく示す建物で、かつて新高山城の本門として作られたものを、当寺の山門として移築したものである。
 切妻造り、本瓦葺きであるが、城郭建築にふさわしく、規模も大きく、木割も太い。蛙股(かえるまた)などの細部には、桃山時代と思われる豪快な手法をみせている。中世城郭建築の残存例は少なく、その価値を認められて、重要文化財に指定されている。
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