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御調歴史民俗資料館(みつぎれきしみんぞくしりょうかん)

 資料館の建物は、明治末期に築造したもの。昔、所在地の丸河南(まるかなん)一帯を御調郡河内(かわち)村といっていた。そのころ村役場として使われた。
 慶長6年(1601)福島氏は、領内の検地を行った。旧藩時代の村域及び村名は、ほとんどこのとき定まったといわれている。元和(げんな)5年(1619)福島氏退転の後、浅野・水野2氏が分封せられたが、当時の村数は、893村である。明治22年(1889)4月、市制、町村制の実施で、町村大合併が行われ広島市は市政を施行、県内の町村数は約2分の1強に減った。
 河内村は、昭和30年2月1日市村、奥村など7村と合併し御調町となった。しかし建物だけ、1つ残されていた。それが旧河内村役場である。
 木造2階建、寄棟、屋根は黒瓦葺き。外壁は板張り。前面中央に玄関を配し、庇(ひさし)は合掌屋根、黒瓦葺き、棟に瓦製の宝珠を載せている。
 展示は、古代山陽道や、石州街道など交通の要地であった町内の歴史、考古、民俗の資料。
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