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沼名前神社能舞台(ぬなくまじんじゃのうぶたい)

 沼名前神社は、式内社であったが、その名は早く失われた。その後、鞆(とも)の浦では、渡守(わたすもり)社と祇園社が発展するが、慶長年間(1596〜1615)に前者は後者の境内社となった。明治4年(1871)に沼名前神社が復活する際に、いずれの後身か議論があったが、結局両社の合併の上に成立した。
 祇園社は、鞆の浦の産土神(うぶすなのかみ)として人々から信仰された。福山藩主水野氏も崇敬し、2代藩主勝重が、寛永2年(1625)に石鳥居(県重要文化財)を寄進したのに次いで、3代勝貞は、山城伏見(ふしみ)城にあった能舞台を入手奉納したのである。
 能舞台は桁行(けたゆき)一間、梁間(はりま)一間・一重・切妻造り・杮(こけら)葺きで、組立式である。すべて枘(ほぞ)差し、込栓打ちで、屋根もパネル式になっている。毎年6月18日に、能舞台を組み立てて能を演じていたが、明治6年以来は、現在地へ定着したものとなった。
 広島県内には、他の能舞台として、厳島の海中に浮かぶものがある。こちらの方は組立式ではない。沼名前神社・厳島神社の両能舞台とも重要文化財に指定されている。
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