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鞆対潮楼(ともたいちょうろう)

 対潮楼は、古代から風待ち・潮待ちの港として栄えた鞆港近くにある真言宗福禅寺の客殿である。当時の開山は空也といい、永禄年中(1558〜1570)に火災にあったので、慶長15年(1610)に尊栄が再興したと伝える。
 江戸時代を通じて、朝鮮信使(正使・福使・従事官)は好んで宿所とした。「対潮楼」の名は、寛延元年(1748)に使節の正使洪啓禧が命名し、その息子洪景海にその字を書かせた。この時の書をもとに作成された木額が今日に残っている。
 対潮楼から眺めた鞆の海の景色は素晴らしく、各使節はともども称賛した。正徳(しょうとく)元年(1711)の使節団は、「日東第一形勝」と賞しており、従事官李邦彦の書が額として保存されている。当寺には、この他にも、通信使たちの残した文物が多い。
 桁行(けたゆき)六間半・梁間(はりま)六間・一重・入母屋造り・本瓦葺きで、本殿に接している。かつては、海に臨む高台に位置していたが、海が相次いで埋め立てられ、石垣の外側を回るように車道が走っており、景観がかなり変わっている。県史跡。
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